グルジア紛争は端的にはグルジア人とアブハジア人・オセチア人の民族紛争なのですが、他民族との関係やカスピ海の産油覇権で欧米諸国も絡み合い、複雑さを増しています。

1989年 独立を求めてトビリシ(現グルジアの都市)で集会を開いていたグルジア人らに対し、ソ連実戦部隊が突撃、無抵抗のグルジア人20人を死亡させたほか、数百人の負傷者を出す。

1991年 グルジア人(東方正教系グルジア正教)が民族主義を訴えソ連から独立。欧米に近づく。

1992年 少数民族のアブハジア人(イスラム教)はグルジア人による同化・民族浄化をおそれ独立。しかしグルジアが認めず軍事介入→これに対し、アブハジアとつながりのある民族連合や隣接するチェチェン・イングーシ共和国が義勇軍を派遣、ロシアもアブハジア側を支持し応戦、複雑化。

1994年 アブハジアは首都を奪還し、グルジアと停戦。

2008年 アブハジア自治共和国が国際的な独立承認を求める→グルジアが侵攻し大部分を制圧。現地に駐留するロシア平和維持軍にも犠牲者を出し、ロシア側は報復を宣言。産油覇権を目論む欧米はグルジア支持←いまここ

 8日グルジアが侵攻した同国領内の南オセチアも同様の独立紛争が背景にあり、両自治国の独立を争点に緊迫した情勢となっています。